存在していることを確かめたかったんだ。

ときに人は自分が存在していることを疑問に思う。

本当に、自分は存在する必要があるのだろうか、と。

その存在には、意味が、価値が

そして確かなものであるのかと

ふいに虚無感に襲われるときが、ある。













どれだけ濃く、重く、鮮明であるかを問い


ホンモノかニセモノか、そんなことにも苦悩する。







”ありもしない”確かな言葉を求めて



納得も満足も得られないのに、求めて、求めて



そして求めることだけに気をとられて


からっぽの心だけが手元に残る。







この渇望はどこからきたのか、どうして起きたのか


足りないという感触以外は何も残らない。






存在にリアリティを求めるのは無謀だと誰かが言った。




確かな形を求めてしまうことは


形を持ったものを求めてしまう事は


崩れる運命の可能性を共にするのだと


形を持ったものが手に入ったとしても


その存在が確かなままであったとしても


自分が変わらないなんていう保証はないから


求めるものは変わっていく。






形があるものが手に入るからといって満たされるわけではない・・・・







”単純に” 手応えのある、何かに、衝動的にすがってしまい


得られたものは ”これではなかった” という失望感。


その衝動を止める術さえも、持ち合わせていない自分に


ただ、ただ、嘆く。







でも、曖昧な、見えているようで見えていない


つかめない そんな状態で 今が続くのはとても不安で


やっぱり、確かな存在を求めてしまうんだ。






この繰り返しにこそ、何の価値があるのだろうか

あと、何度、嘆けばいいのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







嗚呼、どうすれば問わずに、どうしたら求めずに・・・・・・・・・


見たままを それ以上を 望まずにいられるのか。













答えが出ないまま今日も・・・・・・・・・・・・・・・































夫婦(虚偽)安定キリッ



愛(虚偽)から愛を抜いたら残るのはなんだろう

って書き込んでからおもつた。

ま、考えても進まないからいっかー☆  みたいな!



論理実証主義を読んでいると
日々を、問う事は無意味に思える。

目の前で事が起きたときに是非を問うのはいいとしても
先が定かではない、移ろいやすい ”日々” に
言葉で答えを求めるのは、人間には不可能だと思う。

日々感じる事、そのとき、そう思ったことが答えであって
それは1つじゃなくちゃいけないなんてことはないと思うから。

そのときの答えはそれであっても、
数秒後には変わることだって、生きていればある。
その曖昧さを許容し、曖昧さを生む事がある自分を見つめて
よりぶれないものを分析していくことで
自分という存在を、自分が分かるんじゃないかな。

時々、自分が分からないという人がいるけれども
それは利害を見て決めかねている状態ではないのだろうか。
もしくは、決めることで猶予が終わってしまうことが怖いのか。
決めて、それが否定をされない自信がある人なんて少ない。
否定をされるということは、逆に、存在そのものの肯定であり
無ではないのだと、思う。
むろん、否定をされることは悲しいことだけどね!
許容されたいよね~ぬーん。

オチのために書いていたら調べに走って
そしてもやんとしたっていう灯台下暗し状態(。´ω`)タハハ

そしてまとまりがない\(^0^)/




ま、あれです、あれあれ



夫婦(虚偽)は始まっていないし、終わらないだよ!!!

ってこと☆(。ゝω・)v
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by Raia-L | 2010-11-11 23:59 | プレイ日記。

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